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さわ

Author:さわ
平成25年1月末、
『 地域包括ケアに欠かせない多彩な資源が織りなす地域ネットワークづくり
~ 高齢者見守りネットワーク みま~ものキセキ! ~ 』出版決定! 

今から取り組めばまだまだ間に合う!
無縁社会、孤立死、地域崩壊・・・に立ち向かうための処方せん。
超高齢社会を乗り切るための「地域におけるネットワーク」づくりのヒントをすべて教えます!
みま~もの5年間の軌跡(奇跡)を余す所なく紹介しています!
地域包括支援センター職員はじめ、保健・医療・福祉関係者、地域づくりに関わるすべての方へ必携です!

こちらから申込書をダウンロードし、ライフ出版へFAXしてください。

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何ができる!

 「きゅうりを収穫したから取りにおいで・・・」

 70代後半の伯母が、山ひとつ低い村にいる、私のいとこに電話をしたのは、その日の前日の夜・・・。

 「今日はもう遅いから、明日朝一番でもらいに行くよ!」

 いとこはそう電話で返事をして、その日、朝9時ごろ伯母さんがいる本家へ向かった。

 「伯母さん来たよ!!」

 返事がない。

 部屋に入っていくと、そこには倒れている伯母さんがいた・・・。


 私の本家は、山梨県勝沼インターから、山を登り30分、山以外何もない田舎である。

 スーパーもコンビにもない、買い物は車で20分山を降りる。バスの終点だが、バスは午前1本、午後2本、路線廃線の話しも出ている。

 私の父の兄(伯父)が本家を継ぎ、私の母の姉(伯母)が嫁ぎ、本家を継いでいた。

 私が子供の頃は養蚕、伯父が脳梗塞を発症するまでは、巨峰を育て出荷していた。私の家は両親が共稼ぎだったため、夏休み40日のうち、39日は山梨の伯父さん宅で過ごした。

 伯父さん、伯母さんは、それぞれ、父の兄、母の姉だったため、親元を離れている感じがなく、伯父・伯母も私が寂しくならないように接してくれていた。

 第2の父、母のような存在だった。伯父・伯母も息子同様に接してくれ、畑の肥料巻き、蚕のえさやり等、教えてくれた。


 伯父が亡くなったのは、平成21年1月。その後、伯母は本家でひとり暮らしをしていた。

 伯父が精魂込めて作った巨峰のぶどう棚も、今は、コンクリートの柱に縦横無尽に張り巡らされている針金だけ。でも、伯父の思いが今もここに残っている。

 伯母は、巨峰作りをあきらめたが、孫や親戚に送るためだけの野菜作りだけは、曲がった腰と痛みがあるひざをかばいながら続けていた。


 いとこがすぐに救急車を呼び、病院へ!

 脳梗塞だった。

 いとこがもし、夜にきゅうりをもらいに行っていて、朝訪れなかったら・・・・と思うとゾッとする。

 入院した翌日、とにかく山梨の病院へ急行した。病室に入ると、変わり果てた伯母がそこにいた。

 伯母の娘に、今後の必要なことを取り急ぎ申し送った。(こんなとき、自分の職業が活かされる )

 帰り際、意識を取り戻した伯母が、乾ききった重い口を開いて何かを言った。

 聞き取れず耳を近づけると、

「裏庭にモロッコいんげんが育っているから、もいで持って帰れ・・・・」

「ほうとうが鍋に入っているから、食べて帰れ・・・・」

「いそがしいんだから・・・、もう大丈夫だから・・・・、ちょこちょこ来なくていい・・・」


 この三つの言葉を繰り返していた。

「こんなときまでそんなこと・・・・・」 こらえていた涙があふれてきた。

 病室を出ると、伯母を発見してくれたいとこが、私にこう質問してきた。

「専門家から見て、伯母の病気は重いのか?」

私は、 「大丈夫!発症して翌日なのに、その日の朝食べたほうとうが残っているのもわかっているぐらいだから・・・」  

 とりあえず、そう話しておいた。

 でも、脳梗塞の度合いが重度、軽度の問題だけではない。

 あの典型的な日本家屋で、退院後同じように伯母一人で暮らしていけるのか?

 それぞれ独立し、別の場所で自分たちの生活を持っている子どもたちが、これをきっかけに、農家以外に働く選択肢がない田舎で同居することを選ぶことができるのか?

 気が重い・・・。

 子どもの頃、夏休みの大部分をすごしたこの地に、この日いたのは3時間ほど・・・。

 子どもの頃、伯母さんが麺から作って、伯父さん、伯母さんが育てた野菜がいっぱい入ったほうとうの味が今も忘れられない。

 伯母さんが作る出来立てのほうとうが食べたかった。


 今まで、多くの介護を必要とする本人・ご家族と向き合ってきた。

 この一人ひとりの家族に、伯父、伯母のような歩みがある。

 専門職として向き合う私たちは、この人たちの今しか知らない。今の介護が必要なその人がすべて。

 だからしょせん何もできない・・・・。

 そう思いたくはない。

 まずは、自分たち専門職の限界を自分はきちんと知ろうと思う。そのうえで、でも、自分たち専門職だからだからできるものを自分に築きたい。

 人一人の人生は、それだけ尊く、気高く、すばらしいものだと思うから・・・。

 そこに向き合っていく自分たちなのですから・・・。


伯父が亡くなったときのことを書いた記事「伯父の死」は、こちらをクリックしてご覧ください。


本家があるこの地に、今は、伯父、伯母はいません。

左にあるぶどう棚も、針金が張り巡らされているだけ・・・。
         ↓
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テーマ: 地域包括支援センターの話
ジャンル: 福祉・ボランティア

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